東日本大震災に対しての記事となるため、気分を害される方もいらっしゃると思います
私自身は、東日本大震災に対してネガティブなイメージを持っていますが、それだけではなく、震災を通して多くのことを学ぶこともできました
それらの学びが、誰かの糧になることを祈って記事とさせていただきます
なお、気分を害される恐れのある方は記事を読むのを避けてください
異常事態発生
国道を徒歩で帰路について、多賀城市までたどり着くことができました
すると、血相を変えて引き返してくる人だかりがありました
「逃げろーー、もうだめだー」とただ事ではない声が聞こえ、前をよく見ると、
見たことがない光景を目の当たりにしました
泥水が車や建物をぐしゃぐしゃにして車が山住になっていました
今まで見慣れた景色の名残はほとんどありませんでした
水位がどんどん上がってきて靴が濡れ、引き返そうとしたときには今まで歩いてきた道がなくなっていました
水位は腰まで浸かるほど上がっており、訳も分からず、死に物狂いで来た道を引き返し、何とか水のないところまでたどり着きました
落ち着いてからやっと津波のせいでこのような事態になっているということに整理ができました
自宅は海から歩いて5分ほどの距離にあったため、ただではすんでいないだろうと悟り、家族の安否も携帯もつながらないため確認できませんでした
不安な気持ちがありつつ、あたりは暗くなりはじめ、視界が悪い中で、残骸の中をこれ以上進むことは困難でした
長い夜
近くにあった「かっぱ寿司」が施設内を貸し出してくれており、出前用の寿司を配っていました
ご厚意に甘え、そこで一泊することにしました
屋内でしたが、とても寒く、下半身はびちょぬれで足がもげるかもしれないというくらい痛かったのを覚えています
国道は行き場を失った車が渋滞しており、テールランプで真っ赤に染まっていました
かっぱ寿司の中では様々な情報が行きかいました
そばの道で何百人単位で死体が見つかった、塩竃市は壊滅的だったなど不確定な情報が入り乱ていました
そんな時に役立ったのが、私が愛用していたウォークマンでした
ウォークマンはラジオが聞けるため多くの情報を得ることができました
※ウォークマンを貸してほしいという人が続出して、私の手元に戻ってきたときには電池切れになってしまっていましたが(笑)
私のせめてもの救いは先輩の存在でした
このような状況でも、「しりとりしようぜ」と訳の分からない提案をしてくれて、延々としりとりをしていました
たわいもないやり取りで周りが笑顔になったり、ウォークマンを貸してみんなから感謝されて、かっぱ寿司のなかの空気がほっこりした気がしました
このような非常事態でも明るくいることの大切さを学ぶことができました
続く