福丸 東日本大震災体験記Ⅰ

福丸と東日本大震災
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東日本大震災体験記

東日本大震災に対しての記事となるため、気分を害される方もいらっしゃると思います

私自身は、東日本大震災に対してネガティブなイメージを持っていますが、それだけではなく、震災を通して多くのことを学ぶこともできました

それらの学びが、誰かの糧になることを祈って記事とさせていただきます

なお、気分を害される恐れのある方は記事を読むのを避けてください

日常の何気ない選択

震災当時、私は宮城県塩釜市に住む高校2年生でした
特にこれといって特別なことはない学生でしたが
友達から、声が大きいから「一緒に歩かないで」と言われることは多かったかもしれません(笑)

当時、先輩にゲームを貸していた私は、ゲームを返してもらうべく先輩に催促の電話をしました

先輩の家()まで行くので、ゲームを返してほしい旨を精神誠意に伝えました

ですが、その返答はあまりに辛辣なものでした

このまま自分のものにしてしまおうとしていた先輩(私の想像です)は、「今日は時間がたくさんあるから」といって仙台でカラオケに行くことを提案してきました

カラオケがマイブームだった私に対して、この絶好球を投げてくるあたり、かなりの技巧派です
なんなく打たされてしまい、私は“杜の都”仙台に行くことを受け入れざる終えませんでした

この”何気ない選択”自分の人生を大きく左右するとはその時、知る由もありませんでした

このときに、仙台に行くことを薦めてくれた?先輩のおかげで今の私がいます

”衝撃”と”死”

仙台で合流した私たちはマックに行き、それぞれ注文をします
今でも忘れない、震災前に最後に食べたものはこの時の”マックサンデー・ストロベリー味”でした。のちに、もっと味わっておけばよかったと後悔することになりますが、その時の私は、3口くらいでべろりと食べてしまうのでした

*マックサンデーは現在販売されていないみたいです(泣)

先輩が紹介しくれたカラオケ屋につきますが、、そこは古いビルの3階にありました

チェーンなのかも疑わしいカラオケ屋でしたが、安かったこともあり、そこに決めました

カラオケ屋につき、僕が歌ったのは絢香の三日月でした

そのあと、先輩が歌った曲は一生忘れることはないだろう、コブクロの”流星”
歌いだし、いきなり音を外す。この音の外し方で、どう持ち返すのかと期待を膨らませますが、なかなか取り返しがつかないところまで逝ってしまっていたようで、原曲がもう分からない


お世辞で、「いい歌詞だねえ」と添えて、聞きうなだれたいたときにそれは突然起こりました

はじめに、ゴゴゴゴという地響きと揺れ。先輩に”天罰じゃね?”とおどけてみせた瞬間、グラグラグラと訳の分からない揺れ方に

正直、宮城県民は地震に慣れています。高校2年生ながら、震度6クラスは何度か味わったことはありましたが、今回の揺れはおかしい

ピークが去ったかなと思った後にまた強力な揺れがおこりました

確実に地震の域を超えており、どこかの国が仙台に対して新しい秘密兵器でも使ったのか?もしかしたら、地球滅亡の日?とかすめます

こんなぼろいビルが耐えられるはずはないと確信し、”死”を受け入れざる終えませんでした

こんなあっけなく死ぬんだなあと思っていると、徐々に揺れが落ち着いていきます

こんなに長い地震は生まれて初めてでした

次回に続く

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