東日本大震災体験記Ⅳ

※注意

東日本大震災に対しての記事となるため、気分を害される方もいらっしゃると思います。私自身は、東日本大震災に対してネガティブなイメージを持っていますが、それだけではなく、震災を通して多くのことを学ぶこともできました。それらの学びが、誰かの糧になることを祈って記事とさせていただきます。

気分を害される恐れのある方は記事を読むのを避けてください。

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目次

震災後、初めての朝

いつの間にか眠っていた私は、全身の寒さで目が覚めました。津波により、腰まで波に浸かってしまっていたため、ジャージを干して、部活用の短パンで寝るしかありませんでした。
雪が降るほど寒い日に、冷暖房がない中、がくがく震えながら朝目覚めたのを覚えています。

備考:

ラジオが聞ける貴重なウォークマンは、かっぱ寿司の中にいる人にシェアされ

亡骸となって手元に帰ってきました(笑)

案の定ではありましたが、干していたジャージと靴下、靴は全く乾いておらず、冷たくなっているそれらをしぶしぶ履き、先輩と一緒に重い足取りで、それぞれの家へ向うことにしました。

外に出ると、非現実な状況に驚きました。

目の前には、がれきや車が山積みになっており、地面はヘドロだらけになっており、大量に魚が死んでいました。(今考えると、余震で再度津波が来たら一溜まりもないところにいて、恐怖です、、、)

その時の私たちは、家族や友人の安否を確認することに精いっぱいで、人を助けに行くことが出来ませんでした。不安な気持ちのまま、波が来ない内陸へ向かい、遠回りに家を目指して歩きだしました。

食べ物どうするか問題

震災当日は運よくかっぱ寿司で出前用のお寿司をおすそ分けしてもらいましたが、大した量食べられたわけではありません。不思議とアドレナリンが出ているせいか空腹感はありませんでしたが、とても不安になりました。

そんなとき、コンビニが見えてきました。コンビニのなかはもみくちゃ状態で、レジも電気が止まっているせいか、とても会計に手間取っている様子でした。

そんな様子を見かねて、先輩はレジでお金も払わず、めぼしい食料品を取って出ていきました(素行はあまりいいとは言えない先輩でしたので、、)。有事だからこそと先輩の分も含めて、多めのお金をレジにおいて、カロリーメイトをコンビニから頂いたのを覚えています。あまり褒められたことではありませんが、、、

ライフラインが完全に停止しているため、お金をおろすことが出来ず、コンビニで大盤振る舞いをしたことを後悔しますが、後に、お金の悩みなど些細な事だと気づくことになります。

とりあえず、私たちは食料を得ることに成功しました。

生まれ育った町

私と先輩は小学校と中学校が同じで、中学校では部活動の仲間でした。中学校時代には県大会優勝し、一緒に全国大会に出場した間柄でした。

高校ではバラバラになりましたが、幼馴染として高校生になってからも仲良くしていました。私と先輩は、物心つく前から塩竃市という港町で生まれ育ちました。

津波に襲われ、下半身がびしょびしょになり、凍てつく夜に体を冷やし、重い服で悪路を歩き、やっとのことで、私たちの生まれ育った町に帰ってくることが出来ました。疲労困憊だった私たちに、追い打ちをかけるかのように、厳しい現実が突き付けられました。

続く。

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